キャリアデザインと自分 本の紹介シリーズ

 

こんばんは。にゃんちゅうです。

さて、今日はキャリアデザインと自分についてです。

 

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紹介する本は「じぶん・この不思議な存在」です。

https://www.amazon.co.jp/じぶん・この不思議な存在-講談社現代新書-鷲田-清一/dp/4061493159

著者は鷲田精一さんという大阪大学の文学部の教授を務められていた方です。有名な先生のようで、阪大卒の大学の同期に話したら知っていました。ネットで検索するとNeverまとめでもこの先生の名言集が紹介されていました。(興味がある方は→https://matome.naver.jp/odai/2131252441740767301

【内容要約】

わたしってだれ?じぶんってなに?じぶん固有のものをじぶんの内に求めることを疑い、他者との関係のなかにじぶんの姿を探る。

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大学3年生くらいから、就職活動を始め、みなさん自分の将来のキャリアを意識し始めるのではないでしょうか。また、就職しても変わらず自分の将来のキャリアを考え続けているでしょう。

そんな、自分のキャリアを考える上で、何がやりたいことなのか?だとか、今の自分はどんなことができるか?考えることがあると思います。

 

でも、その「自分」とは何でしょうか。

一言で今、自分のことを表現してください、と仮に言われたとして、言えますでしょうか。

また、今思いつく自分とは本当にその性質だけでしょうか。

 

今回紹介する本は、そんな「自分とは何か」をとても考えさせる本でした。

 

 

この本では、「自分」というものは1つの性質や能力で表せないもので、(例えば「かっこいい」「頭がいい」「暗い」「足がはやい」など)その複合体であり、またその複合体は自分と関係を結ぶ相手によって変わるものだと言っています。

つまり私とは、あなたと私の間だけでの私でしかないということです。

 

 

こんな経験があります。

 

職場の後輩のAちゃんと、サークルの友達のBちゃん(職場は私と別)がいます。私との関係性を説明すると、Bちゃんと私は仲が良く、旅行にいく仲でした。Aちゃんは院卒で入社したため、私とは年齢は同じですが、Aちゃんへは先輩として私は接しています。

あるとき、AちゃんはBちゃんと大学が同じで、3人とも知り合い同士ということが判明し、3人で遊ぶことになりました。

遊んだ日の帰り道、特に嫌な事あったわけではないし、体力を使ったわけではないのに、ものすごく疲労感を感じていました。その時は、その気持ちを言語化することができなかったのですが、疲れた理由は後日この本を読んで分かることとなります。

 

友達Bちゃんと一緒にいる時の私と、後輩Aちゃんと一緒にいる時の私は違う顔をしているのです。目の前にいる相手はよく知っている相手なのに、どちらの自分でいったらいいか混乱してしまい、どちらでもない自分を作らなくてはならなかったからでしょう。

みなさんは職場の後輩に接するときの自分と、友達に接するときの自分は同じでしょうか。

 

相手との関係性によって自分は変わる。これに類似した話で、こんな話を聞いたことがあります。

 

日本に移り住んだ外国人が、日本の家庭について変だと思うことを話すテレビ番組がやっていました。

「日本の女性は、子供ができるとアイデンティティが変わるように思う。例えば、幼稚園や保育園で知り合ったママ友同士呼び合う時に○○ちゃんママと言ったりする。ママにもきちんとした名前があるのに、子供ができるとそのこの母親でしかないというようなアイデンティティの名前をつける文化がある。」

 

日本人の身内の責任をとるという文化は、その人のアイデンティティ(自分)に大きく影響しているように思います。

個に重きを置くアメリカなどの海外では、息子が麻薬で捕まったとしても、その父親が涙ながらに謝罪会見なんてことはせず、そんなことをする日本は奇妙に思えるとのことです。

 

話が逸れましたが、ところで、

キャリアとは、車輪の軌跡が語源らしいです。(諸説あり)

キャリアを考えましょう。とはよく言われますが、キャリアとは事前に考えておくものなのでしょうか。

 

こんな経験があります。

就職活動を迎えた大学3年生の私は、いろんなセミナーにやたらと参加しはじめ、「将来の自分を考えましょう」とうんざりするくらい言われました。当時、無意識にこの事に意味があるのか疑問を抱いていました。例えば、明日の私は、今想像できるでしょうか。

きっと明日の私は、今の私が想像してないことが起きて予想していない感情があったかもしれないでしょう。

 

この疑問を検証するために、高齢者にインタビューするという、介護企業のインターンシップに参加しました。

高齢者とは人生の大先輩です。その大先輩に自分の人生は思っていた通りに、予想した通りになったかインタビューしてみることにしました。その結果、10人中10人が予想してない結果になったと言っていました。

やはり自分の人生は自分が予想した通りになることはないのです。

 

ただ新しい発見もありました。

それは、人生を歩んでいく上で自分が変わっていくことです。

また、その変わった自分がいる時がターニングポイントと呼ばれ、その時にもう1度人生を考え直し、進む道を選んでいくことです。

人によっては最初に選んだ目的地と、ターニングポイントで選んだ目的地が変わり、まったく予想していない道を歩んだという人もいました。

 

人生を歩んでいく上で、自分が変わっていくこと。それはどういうことでしょうか。

例えば、入社したばかりのころの私は、自分のことで手一杯で周りのことなんかまったく見えていない仕事ぶりでした。

しかし、たくさん仕事を経験していくうちに、やるべきことやポイントがわかるようになり、効率的にだんだんこなせるようになりました。効率的にできるようになると、余裕が生まれます。すると周りの人がどんな動きをしているのかよく見えるようになり、その周りの人の動きを見ながら自分の動きを変えていくようになりました。

気づくと、後輩ができ、育ての親のような気持ちが生まれてきました。

この先輩となった私は、入社した時の私とはちょっと違うわけで、好きだと思う事も、これがやってみたいと興味をもっていることも、違ってきています。人生を歩んでいく上で、自分が変わっていくこと。歩んでいくうちに、その道のちょっと先の道が見えてくるのです。

 

本題に戻って、ではなぜキャリアを考えましょうと言うのでしょうか。

想像してもその通りにならない!だって私も変わるもん!だから、キャリアを考えるのは意味が無いよ!

と伝えたいわけではありません。

 

私の中の答えは、キャリアを考えましょう=あなたはどうしたいですか? 、です。

どういうことかと言うと、キャリアを考えることは未来を予測することではなく、未来をある程度コントロールしようという意志あるか、ということです。

 

コントロールしようという意志のない人に、人生のターニングポイントで選択肢を見せられてもどちらの道に進むか選べないでしょう。

もしかしたらターニングポイントであることさえ気づかないかもしれません。

 

ある程度、自分の将来をコントロールしようという意志があって、それを達成するための努力を日々し続けていれば、

いろんな道を進み、新しい自分と出会い、漂流しながらも、納得のいく目的地に到着できるのではないでしょうか。

 

それが気づけばキャリア(車輪の軌跡)と呼ばれるものになっているのでしょう。

この仮説が本当かどうか、自分の人生で検証していく予定です。

 

 

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余談ですが、宇多田ヒカルのcolorsという曲に

「どこへ行ってもいいと言われると 半端な願望には標識も全部灰色だ」という歌詞があります。

未来をコントロールしようという意志があやふやな人に、「白にしますか?」「黒にしますか?」といった標識(選択肢であり、行先の進行方向を示すもの)が出てきても、灰色(グレー)にしか映らず選べないという意味だと私は解釈しています。

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以上、キャリアデザインと自分についてでした。